女性は誰もが一生プリンセス

はじめまして、美容師であり3人の子供の母である渡辺そらです。ビューティーフォトsoraの代表をしています。

私は6歳の時に七五三で着物を着た時にとても嬉しくって、とてもときめきました。その際に何で毎年着れないんだろ?っと納得がいかずにいました。その気持ちがあり舞妓さんに憧れた時期もありました。その後だんだんと自分以外の方の髪の毛を綺麗にしたり、着物を着る事でときめく気持ちを味わって頂くお仕事が出来たらと思うようになりました。母親も美容師であったのもあり、着付けは子供の頃から助手として自ら楽しくお手伝いさせて頂いてました。その後高校卒業してから美容学校に行き迷わずに美容師の道を進みました。

美容師は技術者になるまでは毎晩遅くまでサロンに残り練習をするようです。そのため特に一年目は練習する事が多く沢山の同期が辞めて行きました。コンテストもありその練習や仕込みも営業時間以外の時間も残ってサロンにいます。

そんな中結婚もしました。

時間もない中でサロン子育ての生活がはじまり更に忙しさは増しました。

結婚前に技術者になっていた分少しはまだ救いだったかもしれません。美容師免許が取れてから3年後にしか受けれない管理美容師という資格があります。管理美容師が無いとそこでスタッフが働く事が出来ません。その管理美容師の免許を取るタイミングの3年過ぎた時に1人目をお腹に授かったときでした。お腹に赤ちゃんがいる中で管理美容師の講習に数日通いそこから試験を受けました。出産前には管理美容師の免許も取れていて本当に良かったと思います。

大手の美容室グループにいた為多くの勉強会がありたくさんの知識を得ることが出来ました。その中でもとてもいい経験ができたのはロンドンにあるVidalSassoonのスクールへ短期留学として2度ほど結婚前に行かせて頂いた事です。

結婚してからは1店舗を夫婦で任されてスタッフ共にサロン作りをしてきました。1年目の時から大好きな美容師の仕事が出来ている喜びが強かったのでずっと仕事をしたいという気持ちから、結婚相手として同僚を選びました。それがそもそも間違えでした。結婚まえから束縛ややきもちはとても強かったですが、まさか妊婦中に殴られ道端で引きずり回されるほどの暴力を振るわれるとは思わずに結婚してしまいました。

3人の子供に恵まれ仕事と子供のことはとても楽しかったです。ただ結婚12年間仕事と子育ての両立をしながら、ずっと元旦那の顔色見ながら怒らせないようにと思い生活をしてきました。子供が夜泣きをしてもうるさいと怒鳴られ、子供の学校行事に私が出てから仕事の戻ると「行かせてもらってありがとうは無いのか?」と言われ、子供の修学旅行前に下着を新しく買いたいと言っても買う必要ないと怒られ、殴られて鼓膜が破けたり、目がはれ上がって眼帯して仕事したり、そんな暮らしをしていました。

そんな生活でしたが友達や実家の親にも心配をかけたくないので誰にも元旦那の相談もせず12年生活してきました。子供たちの前でも元旦那の悪口は言わない方が子供にとって良いと考えて黙っていました。実家の両親や保育園、学童などの力を借りて子育てはどうにか乗り切り仕事は続けてこれました。

離婚や転校は子供にとってかわいそうだと思っていましたが、結婚生活12年の時にあることがきっかけで「朝おきてきて首吊っていたらごめん」と言われ、普段から包丁突き付けられたりしていたので、そんな心理状況では一家心中されたら困ると子供がかわいそうだと考えて、逃げることを決めました。普通の離婚話したら殺されるかもと常々思っていたので、黙って消える事が一番だと思って、友達のお母さんが家庭裁判所の調停委員さんだったので相談をして逃げる方法を伺いました。相談後何十回も殴られたある日に子供3人とランドセルだけ持って逃げ出し警察に逃げ込みました。そこからはシェルターに入って生活の拠点となる新しい住まいを探して、子供3人とカーテンもないアパートからの新天地での生活がスタートしました。

はじめはキャバクラのヘアメイクに行ったりして仕事をしていました。二年ほどしたころに住んでいたアパートの大家さんから声をかけて頂き、アパートの1階のテナントを良心的なお値段でお借りする事が出来て、また大好きな美容師の仕事を本格的に始めることが出来ました。

そこからはお友達やお客様、同業者の仲間に恵まれて子供たち3人と私で4人の暮らしを安心した家で楽しく過ごしてきました。

元旦那から逃げ出した当初に女性弁護士さんにもお世話になりました。その際に私が着物が好きな話やいずれ美容室がやりたい、着物もまた欲しいと言う事を身一つで出てきたばかりの人とは思えないような話をしていました。調停委員さんには普通はDVで逃げてきた人はこれからどうしようと悩んで落ち込んでいる人ばかりなのに、珍しいほど明るいといわれました。私自身12年行動をチェックされたり地雷を踏まないように会話の一つ一つに怯えて生活していたのが、自由に買い物に行けたり顔色見なくて良い生活が出来るだけで楽しくって、これからやりたいことが溢れていました。

実際12年前に描いていたやりたいことがすべて叶っています。その事から叶わない夢はないと思っています。

 

1.綺麗をお手伝いして喜んで頂く

すべての女性の今の美しさを引き出すお手伝いとして、ヘアアレンジ・メイク・着付けなどの美容師の技術を使ってお仕事させてもらっています。セミナーを行い技術や知識の向上に努めています。

2.美容の力で人々をきれいにする

お客様であるすべての女性の魅力を引き出す事に力を注ぎ、多くの笑顔を見せて頂きたく全力でお仕事をしています。

3.美容の技術で綺麗になって喜んで頂く

普段はサロンワークだったり訪問美容をされていたり、それぞれの生活を保ちながら美容師という資格を持っている者同士で情報共有をして勉強会などを繰り返す事で技術や知識の向上に励んでいます。その技術で綺麗になって頂くことでお客様が喜んで頂けるのでやりがいに繋がっています。

4.輝きときめきがエッセンス

いつでもその瞬間の美しさがそれぞれの女性にあり気づいていない方も多いので、気付いていない部分を引き出してときめきを感じて頂き、さらに気持ちの面でも輝きを増して貰い人生の豊かさを見出して貰えたらと思っています。

5.夢は叶う

今がつらくても子供はいずれ大きくなり手がかからなくなります。つらい時期を乗り超える時に一人じゃないという事をいつでも思い出してください。私は実家の親や保育園の先生、周りのママ友、公共機関が助けてくれました。いつでも一人で抱え込まず手を貸してもらい時には声を上げて助けを求めてください。意外と手を貸してくれる人はいます。

6.幸せを分けてもらっています

女性の美しさを引き出すお仕事として、カット・パーマ・カラー・まつ毛エクステのようなサロンでの技術はもちろんですが、七五三・成人式・結婚式・長寿のお祝いなどの撮影で女性が非日常の体験をするイベントごとのお手伝いをさせて頂いています。女性は誰もが一生プリンセスをもっとうに車いすの方やベットで寝たきりの方などでも簡単に着付けられる着物の開発や、着物をドレス風に着付ける技術きものdeどれす®は商標登録を取り仕事させて頂いています。ボランティア活動として児童養護施設でのヘアアレンジや着付け、小児がんの子供たちにヘアードネーションとしてのお客様からの髪の毛の寄付。チャリティーカットなどにも力を入れてます。

 

名前 渡辺そら

店舗名 〜sora〜

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